このフェンダーが目に入らぬか~

こちらはフェンダー・ジャパンの57年ストラトキャスター。
フェンジャパがデビューした82年生まれ。

画像















誰もが知っている日本製のフェンダー。 

 -Fender Japan

このブランドがデビューしたのは1982年のことです。

息子がギターを始めたいって言ってるし、
とりあえずフェンジャパのストラトでも買ってやるか・・・。

今ではこんなお気楽な扱いのブランド。
逆に言えばそれほど親しみ深いブランドということですね。

今となってはこの最初期モデルの 「JV シリアル」 は感慨深いです・・・。

画像















「フェンダー・ジャパン」 はアメリカ・本家フェンダー社の要望によって誕生しました。

グレコ、トーカイ、アリア、フェルナンデス。
1970年代後期の日本の楽器業界は国産ブランド四天王を筆頭に
とにかくソックリで性能が良くて安いコピー・モデルの製作に凌ぎをけずり、
各社生き残りを賭けた大競争時代の真っ只中でした。

そこへ白羽の矢が立てられたのは
富士弦楽器が製作を担当していた 「グレコ」 でした。

コストを抑えつつクオリティの高い製品をアメリカ国外で製作できるところを
探していたアメリカ・本家フェンダーは 「グレコ」 を選びました。

 へぇ。そうやったんか・・・。

どころではありません!

当時の日本の楽器業界からすると
ヘッドに本物の 「Fender」 ロゴが付いているギターほど
恐ろしいものは無かったでしょう。

まさに 「水戸黄門の印籠」。

 この Fender ロゴが目に入らぬか~!

 うへぇぇぇぇぇ・・・!


グレコにしたらこの話はおみくじを引いたら大吉どころか
カラン、カラン、と鐘が鳴って

 「おめでとうございます!1等 ハワイ旅行でーす!」

といきなり言われたようなものだったのではないでしょうか。

他の国産メーカーは隣の家が宝くじに当たったような話で、
信じられなかったのではないでしょうか。

私なら悔しくてきっと眠れません。


グレコの製作を担当していた富士弦楽器は日本国内よりも海外の輸出に
力を入れてきた 「Ibanez」 ブランドを同時に製作していたことも
アメリカへの大きなアピール・ポイントだったのではないでしょうか。

ともあれ、グレコは1981年のスーパーリアルを最後に
フェンダーのコピー・モデルをラインナップから完全に消し去りました。

それまでのグレコのヘッドには

 Greco SPACY SOUND とか書いてありました。

それが今日から

 Fender STRATOCASTER

すっ、素晴らしい・・・!


1982年発行の最初期のカタログを見るとこんな感じです。
ストラトのモデルは、57年モデル、62年モデルがそれぞれ3種類。

画像














それにしてもキャッチフレーズが素晴らしい!

 1957年、若者たちは「ロックンロール」という熱病にかかった。

 ジミ・ヘンドリックスに抱かれたストラト、説明いらないだろ。

 オールドには噂が多い。だから、真姿をごらんに入れたい。

 4分の1世紀に渡って、ギタリストがこよなく愛してきた、テリー。

このセリフを吐いた後のドヤ顔・・・。

 ああ、ゴメンね。だって、オレたちホントのフェンダーだからさ・・・。

と言わんばかり。

 キキー・・・・・! トーカイ&アリア&フェルナンデス


おっ!これは面白い。

Q : なぜ、57年モデルと62年モデルなのか?

最初期カタログにはちゃんと説明が書いてあります。

巷の噂に出てくるような57年と62年のモデルが一番程度が良いから。
ではありません。
もっともっとアメリカ的な発想なのです。
アメリカ人を対称ににした意識調査の中で、
「あなたにとって50年代、60年代それぞれ一番良かった年は?」
という質問がありました。
結果は、50年代は1957年。60年代は1962年が最良の年であったと
答えた人が圧倒的でした。
ロカビリーがはやり始めた57年。ビートルズがデビューした62年、
どちらもフェンダーにとって忘れえぬ年です。
メモリアルイヤーとしてヴィンテージの品番に採用しました。


それにしてもこの人たち化粧し過ぎです。

ジミ・ヘン、そしてエリック・クラプトンとドナルド・ダック・ダン

画像














バディ・ホリーにベンチャーズも!

画像














ねぇ~え。お兄さぁん・・・。
アタシのストラト見てぇ・・・。

こんなバディ・ホリーが隣に座って来たら急いで逃げないと!


この記事へのトラックバック